人生なるべく充実させたい人のための
仕事観、子育て観、人間関係構築法、不安や悩みの対策、
自分をなんとか好きになること、日常を新鮮にすること、
夢を現実化すること、ときには日記、を書いています。
記憶の片隅に覚えている
「ジロー風スパゲティ」。
これはもう美味しいでしょ、という、
若者もお子ちゃまも大好きな組み合わせ。
クックパッドで「ジロー風」と検索して
作ってみてね!(^^)
心のエネルギーの話です。
勉強や運動など
スパルタチックに教え込む幼稚園、
いくつかありますが、
合う合わないが
やっぱりあります。
その子が小学生になってから
幼稚園Aの「えんぴつ」がテーブルに置いてあるのを見たとき、
「おかあさん、ぼく
このえんぴつ見るとイヤな気持ちになるから
このえんぴつしまって」
「幼稚園のときは、
できないと怒られるし
できてもほめられないし
いいことなかった」
卒園して何年もたった今でも
イヤなんだそうです。
その幼稚園を卒園して、
まわりの子よりも勉強できるのは
最初の半年〜1年くらいだけ、
それからは他の保育園や幼稚園で育った子のほうが
ぐんぐん伸びていく、
ということでした。
早期教育そのものに害があるとは
あまり思えません。
シュタイナー教育などでは
マズイとされているようですが・・
一緒になって楽しく学ぶ、
そういうスタンスなら
よいのではないかと思います。
成績など
結果を期待するなら、
幼稚園だけじゃなくて結局
小学校に入ってもそれからもずっと
勉強(や運動など結果を期待するもの)をし続ける必要があります。
ある人が、
小学校3年生くらいのときの
英語の絵本をネイティブのように上手にペラペラ読んでいたビデオが残っているそうなんですが、
そのあとまったく英語に触れなくなったら
大人の今ではサッパリ。
英語は日本人の平均レベルなのだとか。
うちでは
将来使うかもわからない英語を学校以外で学ぶのは捨てて
算数の難しめの文章題を小学校の各学年で100問ずつ解く、
というだけにしました。
幼稚園でお勉強や運動をすることが
よくないのではなくて、
厳しい、
できないと怒られる、
できて当たり前な感じで認められない、
そのことが
心のエネルギーを奪ってしまうようです。
幼稚園でそうではなくても、
両親がそういうタイプだった、
という方も
いらっしゃるのではないでしょうか。
なので
小さな子供は特に、
できるできないを問題にするのではなくて
できてもできなくても
とにかく認めて愛情かけてエネルギー注いで育てる、
ということを
すればよいでしょう。
大人1人で関わるのは限界がありますから、
両親、
お兄ちゃんお姉ちゃん、
おじいちゃんおばあちゃん、
幼稚園保育園の先生方、
など
できるだけ多くの人に関わってもらうと
やりやすくなります。
できるできないについては、
中学、高校にもなれば
成績が数字で客観的評価となって
出てきますから、
せいぜいその時点から問題にすれば
よいのでは。
幼稚園あたりでは
なんでもオッケー!
走るの遅くても
走るだけでエライ!
絵本開いただけでスゴイ!
1つお手伝いしてくれだだけで
すばらしい!
そんな能天気でお気楽な感じのほうが
心のエネルギーが育まれるのではないかと
思います(^^)
さすがにだんだんわかります、子供も、
あえてそういうふうに接してくれてるんだな、って。
甘やかすとは別です、
したらいけない(犯罪になることやそれに準じること)ことは教えるけど
勉強や運動等がうまくできないことは問題ではない。
長い目で見て、
そのうち何か
特技が見つかります。
それは小学生でかもしれないし
中学、高校かもしれないし、
大学、
またはそれ以降かもしれないけど。
特技や、好きなこと、情熱をかけられることが見つかったときに
思いっきりそれに注力できるエネルギーがあること。
それが大切と感じます。
これからなんとかなる
小さい子はよいとして、
すでに心のエネルギーが枯渇してしまった
大人はどうしたらよいのでしょうか・・・
奪われ続けた期間が長い分
子供よりも不利だけれど、
気づいたら全力で、
自分の心のエネルギーを育てていくしか
ないのでは。
エネルギーを奪われる環境を去る。
一番の対策はコレ!
ではないでしょうか。
親に奪われるなら親とは別居する。
なるべく遠くに。
(親はまず変わらない)
会社に奪われるなら会社をどうにかする。
(会社は人員転換により変わる可能性はあります)
それは「逃げ」ではなくて
「対処」です。
なかなか現実的に難しいこともありますが
ジワジワとエネルギーを奪われ続けるのと
どちらがよいかという選択です。
実際、
人生を自分の思うように好転させた人の多くは、
付き合う人、接する人を変えています。