6月の
凶と言われても
向こうからやってきた流れには飛び込んだほうがよい、
という考えです。
そして、
「凶」だとか
何かが悪いとか言われたときには、
その根拠と内容をしっかり知ることにしています。
過去を検証してみて、
それが本当に自分に悪影響を及ぼしてきたのかどうか、も。
今日は、
私なりに
なぜあそこで
「沈んだ運気がやってくる」と判断されていたのかを
検証した結果をレポートします。
まず、
あの吉凶判断法と判定基準では、
私の場合は、になりますが
「自分自身にエネルギーを与えてくれる運気が来るか来ないか」
その違いから判定されていると
見て取れました。
(これは人のタイプによって違うので
全員がそうだとは思わないでください)
自分自身にエネルギーが来ないときはどうなるかと言うと、
楽しむエネルギーだったり
和やかなエネルギーだったり
規則正しいエネルギーだったり
その言い方は象意の1つの側面にすぎませんが、
そんなエネルギーがやってきます。
つまり
エネルギーがやってくることには変わりないのですが、
自分を内側から盛り上げるような、
立ち上がらせるような、
そういうエネルギーは少なくなるということです。
私は元々静かな生活を好む方です。
特に人間環境に対してです。
官門、修門のみなさんは
わりとそのような傾向があると思いますが、
大勢の中でにぎやかに、と言うのはあまり落ち着きません。
異業種交流会的なものも行ったことがありません。
価値観や目的が同じと分かっている
同業種の交流会しか行ったことがありません。
ママ友も少ないです。
自宅オフィスでの個人事業なので
基本的に引きこもり状態です(笑)
門の交流会などよく開催しているので
交流会は好きなんじゃないの?
と思われるかもしれませんが、
私の開催する交流会は10人前後。
全員が門を知っているという安心感を確保しています。
20人を超えることはありません。
私にとってのベストな人数規模です。
県外によく行ってるし
よくバイクで遠出してるし
それで「静かが好き」なの??
と思われるかもしれませんが、
家の中で
家事が終わらない!仕事が終わらない!なのに空手の時間!!
なんてバタバタしているときよりもよっぽど、
雄大な景色の中を
バイクで悠々と走っているときのほうが
心が静かなのであります(^^)
ビーナスライン
阿蘇
そんな私に、もしも
「自分自身にエネルギーを与えてくれる運気」が
あまりやってこないとしても、
むしろ静かに
平和な生活が送れて良い、のではないでしょうか(笑)
これまで私は、
崖があったら
ヨレヨレになりながらも素手で登り抜くような
生き方をしてきました。
吉だとされていた今までの40数年間、
静かで平和だったとは言いがたいです。
いろんな波が来るから仕方なく乗ってきた感じです。
いくら吉だと言っても、
自分の門(もん)から外れたことをしていた時期は
心から幸せとは思えないものでした。
門(もん)に合ったことに絞るようになった
40を過ぎてからの数年間、
やっと
たくさんの喜びを心から味わえるような、
ゆとりある日々がやってきました。
実りの時期、という感じです。
素手で崖を登り続ける年月を送っても
崖から落ちることはなかった、というのが
自分自身にエネルギーを与えてくれる運気のおかげなのだとしたら、
これからは、
崖に登るときには
大きくて丈夫なハシゴをかけて登るとか、
クレーン車を持ってくるとか、
誰かに担いでもらって登らせてもらうとか、
そんな
ラクな登り方をすれば良いのでは(笑)
吉とか凶とか言うのは
あまりよくありませんね・・・。
1番の問題だと思ったのは
吉か凶、
イエスかノー、
良いか悪いか等で判断すると、
悪いと判断された時に
萎縮してしまうことです。
(私よりも周りの人が)
ですので私は、
これから吉凶での判断を
できるだけ行わないことにします。
便宜上・慣例上
吉凶と書く時も、
必ず、
凶とされたもののプラスの効用を
併記することにします。
良いことと悪いことは表裏一体。
受け取り方でどちらにも変わります。
過去も変わります。
未来も変えられます。
悪いとしたら運よりも、
自分の受け止め方です。
キングダム28巻 桓騎
ここカッコイイ。
時の運は、
吉凶よりも
やってくるエネルギーの質で見たほうが
利用価値の高いものになることも見えてきました。
そして自分の生まれながらの門(もん)ごとに
対策の取り方が割り出せます。
今はこういう時期なんだな、
というのを念頭に置けると
「今」やることの優先順位が決まります。
吉凶を鵜呑みにすると、
チャンスを逃す癖がついてしまうようです。
後回しにする癖、
一歩が踏み出せない癖、
やり抜かない癖。
そのほうが問題だと
私は思います。
どんなマイナスなデータがあろうと、
流れが来たものはやはり、
その時にしっかりつかんでこそ意味を成すのだと思います。
人生の最後に生涯を振り返ったら
どんな感想を抱くことになりそうですか?
もしも
結局何にも成し遂げなかった、と
思うとしたら?
失敗したことや
遠回りしたことなどは
「ネタ」になります。
時が経てば笑い飛ばせるようになります。
でも、
あれもやればよかった、これもやればよかった、
というのは、
なかなか埋められないです。
なお、
冒頭の時の運の判定結果は、
数あるいろんな要素の運気の中の
1つに過ぎません。
時の運だけでも複数の要素があって
ある要素はよくないとされても
別の要素で良いとされるものが巡るときもありますし、
それに加えて
人の運(門学)、
場の運(場の風水)、
思考の習慣や潜在意識の記憶など
さまざまな要素が関わってきます。
だから
誰かに「運が悪い」と言われたときに
1つの簡単な対処法としては、
それは自分にやってくる100種くらいの運気の中の
1つにすぎない、と思うのもよいかと思います。
自分には運がよくなる余地が
まだまだたっぷりあるのだ、と。
(100種というのは出まかせです 笑
もっと多いかもしれません^^)
運気について考えるのは
自分を盛り下げるためではないですよね?
よくなりたいからですよね?
必ず、
解決法も対策もあります。
よいものをよりよくすることもできます。
まだ
時の運と風水は準備中の段階ですが、
みんなの日々の生活がより輝くように
共に歩んでいけたら、と思っています!
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バイクに憧れ乗りたくて20年後、
中型・大型自動二輪を取得し
今ではすっかりライダーになった話
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