人生なるべく充実させたい人のための
仕事観、子育て観、人間関係構築法、不安や悩みの対策、
自分をなんとか好きになること、日常を新鮮にすること、
夢を現実化すること、ときには日記、を書いています。
更新を1日遅らせました。
さて
対面での門鑑定でした。
(門鑑定についてはこちら)
初めてお会いする人が金沢に来られて
対面で面談するのは初めてのことです!
この3年間はオンライン面談が95%でした。
少しずつ世の中の動き出すところは動き出したな、
という気配を感じました。
少しずつマスクを外していこう、
と思っていたのですが、

これまで外出時は
顔を隠すためだけの目的で
通気性のよいスポーツ用のメッシュマスクをしていたのに、
花粉を遮断するために
メッシュマスクすらつけられず
不織布マスクをしっかりつける、という
残念なことに。。
13日、14日、
マスクを外している人を見かけると
「花粉症じゃないのね!」
と
うらやましさを感じるのでした。
そんな中、
門鑑定の面談の会場の
「ANAクラウンプラザホテル金沢」
に行きましたところ、
なんと、
従業員のみなさん
みんなマスクを外されてたんです!!
車を誘導する人も、
フロントの人も、
ラウンジの人も。
近くのイオンもアルビス(スーパー)も
どこもマスクの店員さんだらけなのに
ANAホテルすごい!!
と思い、
面談の待ち合わせの前に
私もマスクを外すことにしました。
どうせ面談のときに
コーヒー飲んだりして
マスクを外すのです。
初対面でマスク姿だったら、
マスクを外したときに
どうしても違和感が出ませんか?
マスク姿の人には
外したときの鼻と口の形を
脳内で勝手に補完して見ることになりますが、
その想像と実物は、
美人ブサイク関係なく、
確実に「ずれる」ものです。
だったら最初から
マスクなしで会うほうがいい。
それもホテルの人たちがマスクしていないんだから
堂々と外せる!
というわけで
2019年までの世界に戻り
マスクを外しました。
いつもと違って少しよそ行きの格好をしていたこともあり、
その勢いのまま、
マスクなしで帰りにスーパーも寄って帰ってきてみました。
ただ素顔でいることに
ずいぶん気合いがいる世の中です。
うちは後期高齢者の父もいますが、
毎日元気に外国人相手の
観光ガイドボランティアをしています。
感染確率の一番高いところに出入りしているのが、父です。
それでもコロナにかかってないし、
父にうつしたら・・とかいう心配は
何もしないですんでます。
病気を抱えていた母が10年ほど前に医療フルコースの末に
不自然としか見えなかった亡くなり方をしているので、
うちの家族は自分たちの死生観ができあがっていて、
もしもコロナ始め風邪をこじらせて死ぬことがあっても
それはそれで寿命なんじゃないか?
自然の摂理に抗わないほうがよいのではないか?
という考えです。
死を恐れる気持ちはわかりますが
人間は誰でも必ず死ぬものです。
どんな死なら受け入れるのでしょうか?
眠るように亡くなる老衰?
それは多くの人が望むことですが、
実際、かなり難易度高めと思います。
ウイルスに気をつける必要はありますが、
恐れや不安も、
体を蝕んでいく原因のひとつです。
細かいことにとらわれず、
おおらかに、
心穏やかに生きていくのが
一番の健康のもとではないでしょうか?
それで
門鑑定は、
陽立門女性の方でした。
アビリティは財門。
お話をお聞きしていくと、
かなり
「やりたいことをやりたいようにやる」
立門らしい人生を歩まれてきていました。
海外もたくさん行かれていて、
英語も好きだ、と。
ところがここ5年、
アビリティの財門優位のライフスタイルを取っていたそうです。
仕事は事務。
副業もやっていた時期はあるけれど
その副業は物販。
どちらも、
財門の能力があるから
できてしまうのですが、
陽立門としては満たされない。
ただこの方は、
それが自分でわかって、
このままでは自分をキライになってしまうと危機感を感じ、
すでに
退職済みでした(^^)
ちゃんと立門の本能が働いていて
すばらしいです
飽きっぽいのがネックと言われてましたが
立門ならばそれでもよいのです、
不本意なことを自分を押し殺したまま続けるより健全です。
ざっくり言うと、
次の仕事を選ぶときには
財門アビリティを消して、
陽立門が満たされるように
やっていて楽しいこと、
いろんな人に喜んでもらえること、
変化のあることなどを
選んでいきましょうというアドバイスになりました。
陽立門の良さを活かそうとしていくと、
自然にまわりから評価されます。
話の中で、
これは引っかかるなと思ったのが、
「つい自由という言葉に惹かれて仕事を選んでしまっていた」
という部分でした。
物販は、
「時間と場所の自由を得ながら稼げる仕事」
という謳い文句に惹かれて
やってみた、と。
自由という言葉に弱いのだ、と。
まあ立門ならそうです。
物販は、
確かに、
パソコン1台でネットにつながる場所なら
どこでもできるやり方があります。
その内容は、
まずひたすらリサーチ、
利益の上がるものを定めて
所定の販売手続きをするというもの。
事務作業と言えますし、
そこに自分の好みを入れることは厳禁で
数字をひたすら追うことが必要です。
つまり、
利益のあがる理屈にのっとった作業を
数字だけを見ながら
ひたすらやり続ける。
これは確かに
南国のビーチリゾートで
好きな時間に好きなだけできることではありますが、
それを
南国で
やりたいですか??
ということです。
立門の人には、
それは退屈だと思います。
南国に行ったら
海にドボンと飛び込んで泳ぎたくないですか?
という。
世の中には数字や利益を追うのが
最高に楽しいと感じる人たちがいて、
そういう人は、
「時間と場所の自由」を得ながら
黙々と、淡々と、
数字を追う「幸せな」作業をすることは合っています。
そして確かに
すごい利益を叩き出すことができます。
しかし
その作業に
幸せを感じることができないのなら。
「時間と場所の自由」があっても
それは本当の自由とは言えないのではないでしょうか?
自分にとって、
本当の自由とは
何なのか?
立門の人が感じる自由、
創門の人が感じる自由、
財門の人が感じる自由、
官門の人が感じる自由、
修門の人が感じる自由、
これらは
それぞれ異なるものです。
・自分の生まれながらの門と
真逆の性質の門の人が言う「自由」
その内容を、
よくよく気をつけて吟味してみてくださいね!
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