人生なるべく充実させたい人のための
仕事観、子育て観、人間関係構築法、不安や悩みの対策、
自分をなんとか好きになること、日常を新鮮にすること、
夢を現実化すること、ときには日記、を書いています。
何をやるにも『もっとやればもっとできる』という思いがあって、
できて当たり前、
20歳前後までは「ダメなやつ」と
自分のことを思っていましたが、
スポーツ経験無しから
大学で部活として始めた
海外の先生方にも認められるような
論文を書いたりとか、
最初の1つ2つの
ちょっとした成功体験を得たあとは、
と自分で思えるようになってきたのかもしれない、
思わぬ副産物なのかもしれない、
(門学についてはこちら)
「もっとやる」
ということが割と簡単なのではと思います。
興味を持ったこと、良いと感じたことを、
どれだけでも深掘りできる人のようです。
カオスのように情報や知識を深め、
積み上げていく修門の人には、
「もっとやればもっとできる」
この言葉はとても相性がいいのかもしれません。
私にも、
「もっとできるでしょ」的な言葉は
「やればきっとできる」という自信が生まれるのに
役立ちました。
確かに。
「あなたは『やればできる子』 」
という言葉が子供を苦しめる、
と聞いたことがあります。
上記のことからするに、
「やればできる」
だけを言うならそれほど苦しくない。
それに加えて
「だからやりなさいよ!」
がセットになると
苦しいのかなと。
私は官門の素早さなのか
立門アビリティの行動力も加わってなのか、
「やれ」と言われる前に
わりとやっちゃう子だったんです。
そうしておけば親はうるさくない、と
思っていただけかもしれません。
だから
親の言う「できる」「できない」に関しては、
致命的なほどにはダメージを受けなかった。
しかしですね、
官門の私には、
「やればできる」だろうけど
「やれない」
となったときに、
つらいのです。
それが体力の限界であったり、
気力の限界であったり、
能力の限界であったり、
ギリギリまでやってみて
「やれない」
となると、
本当にしんどいです。
また、私の親は、
親自身に関心のないことはだいたい
「やめとけ」
「危ない」
「無理だ」
と言っていましたので、
私は親に興味のないことをやるのは
最初はとても怖かったです。
どんなことに対しても
「もっとできる」と言われたのであれば
また違ったのかもしれません。
これらのことから思うに、
「やればできる」
のような言葉は、
そんなに悪いものではない。
むしろ
「できる」
というポジティブな言葉をインプットし続けるわけだから、
いい言葉とも言える。
だけど、
「だからやれ!」
と続けてしまうと、
立門の子は絶対やらないし、
創門の子も気分は乗らないし、
財門の子は「ちょっと自分の考えと違うんだよね」となるかもしれないし、
官門の子はやれなくなったときが致命的だし、
修門の子も興味がなければやりません^^;
それに、
「やればできる」は、
短期的に効果のでる言葉ではない、
ということを
親は肝に銘じておくべきかもしれません。
短期的にはむしろ嫌われます^^;
子供が成長して、
社会的に手応えを感じる
最初の1つの「成功体験」ができてから、
過去に言われた「やればできる」が
じわじわと効いてくるのかもしれません。
目の前の子供だけでなく、
子供が成長した未来の姿も見てほしい。
門学アドバイザーとして
そう思います!
P.S.
「やれない」となったときに
しんどくなる官門の方々へ。
官門の良さの1つに「カッコよさ」があります。
騎士・武士・戦士的なカッコよさです。
やれなくても「カッコいい自分」を見つけましょう。
そこに心の安らぎを持ちましょう。
私ならたとえば
道着を着て黒帯を締めているだけで
カッコいいと思う
それは自己満足だけど、
自分の努力で手に入れた
自分基準の宝物なので。
それがあるだけでしんどさが激減です。
空手やめて4年くらい経っちゃいましたけど・・。
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